
木村義雄(きむらよしお)
議員歴30年
現在 : 自民党外国人労働者等特別委員会特別相談役
■主な職歴
・衆議院議員7期・参議院議員1期
・厚生労働副大臣
・厚生労働政務次官
・自民党副幹事長
・衆議院厚生委員長
・自由民主党総務
・自由民主党外国人労働者等特別委員会 委員長
・労働力確保に関する特命委員会 委員長
・自由民主党認定こども園振興議員連盟 会長
・全国栄養士養成施設協会 名誉会長
議員歴30年
衆議院議員7期
参議院議員1期
厚生労働副大臣
社会保障と歩んできた30年。
以下の7つのことを遵守しながら
社会のために仕事をして参ります。
そのためのお約束です。
木村よしおの7か条
父が病気になったときに、病院や病院内をたらい回しにされたことがありました。
本人も私達家族も大変不安な気持ちになりました。
当時は長期入院をすると診療報酬が下がる等の医療制度の仕組みを知らなかったので、どうして病人を移動するのか?何が理由でこういう対応になるのか?という疑問を持ち、社会保障のシステムや厚生労働分野に興味を持ちました。
『困っている人には手を差し伸べる』という、福祉の精神を常に忘れず、今沈んでいる方にも元気を取り戻し輝いてほしい、勇気を取り戻してほしいのです。
私は、どの制度であっても、当人目線を大事にしたいと思うのです。
外からの視線や当事者以外の立場を優先してはダメなんです。当事者の中に入り本質を知り解決することを大切にしたいと思っています。
国会議員になってから10年ほどはただひたすらに国会と選挙区を往復していたのですが、ふと法律を読んでいた時に、法律で沢山の人々が動かされ、一文字変わるだけで全く違う意味になるということに気付きました。
国家なんてそんなものなのか!と大変驚きました。
それからはとにかく法律文をよく読み込み、当事者の話、個人個人から聞いた言葉に注力し、当事者目線でおかしいと思う言葉や文章は、どんどん指摘し政策として取り上げています。。
机上の空論にならないように中身を良く読み込みつつ、現場の小さな声や届きづらい声を反映できるように努力をしてきたと思いますし、これからもその姿勢は変わりません。
官僚の仕事はより良い国づくりのために時代に合う制度を整備することなので、どんどん新しい法案をあげて下さるのですが、中には官僚を信じてその法案をとことん調べずに了承をしてしまう人がいます。
そのほとんどは原案でありますが、中には現場の方々が悲鳴を上げてしまうような実情に合わない内容が書かれている事もあるのです。
私があまりにしつこく原案を読み込み、細かい指摘をするので、仲間からは「木村先生が指摘しなかったら全く気付かなかったよ」と言われたことも多々あります。
また「そんなにはっきり言って大丈夫ですか?」と言われることもありますが、他人の目を気にしていたらなにも言えません。
世間体よりも本質を大切にすることを優先しています。
問題が大きくて壁が厚いと感じるとき、色々な手を考えます。
どんなに時間がかかっても必要だと思うことには、全力で取り組みます。当たり前ですが、しつこく、くじけず、あきらめません。
私は長く仕事をさせて頂いていますので、過去の事例が頭に入っています。以前の事例やその時の状況などを覚えているので、官僚の方が過去の事例を聞きにくるなど、重宝されることもありますし、面倒なオヤジだと思われることもあるようです。
私は、より良い日本へと変わるためならば、既存の制度などの大きくて厚い壁を恐れずに、戦える政治家でありたいと思っています。
困り事があるならば一緒に考えていきましょう。そして必要ならば一緒に壁を乗り越えていきましょう。
制度を変えるには様々な壁があります。予算がない、既存の制度が邪魔をする、他の党が反対する…それでも国民のためになると思う物は作り変えなければなりません。
私は何でも壊せばいいとは思っているわけではないのです。今ある制度の背景には様々な歴史があるので、当たり前のことですが研究や調査をして予想を立て、乗り越えた後の事もしっかり考えて実行しています。
深く調べていくと、今まで壁だと思っていたことは実は壁でなかったり、抜け道があったりするのです。
力づくで壊すのではなく、人々の協力を仰ぎ知恵を使って乗り越えていきます。
守るとは、外交や防衛問題であることはもちろんなのですが、私は何をおいても国民の生命と財産、生活を守るのが政治家の使命だと思い、取り組んでいます。
特にハンデのある方や働きたくても働けない方の最低所得保障であるベーシックインカム等のサポートはなくてはなりません。
日本の社会保障システムの良い部分はしっかりと残しながら、時代に合わせた変化も必要です。
例えば定年が60-65歳というのは法案を作った当時の平均寿命が65歳だったからです。現在の平均寿命は85歳で、20年のギャップがうまれています。
その20年をどうやって生きしていくか、どう食べていくかという問題に、同じ国民の一人としてしっかりと取り組んで参ります。
私は、常に自分がポジティブテシンキングをすることで、周りのモチベーションを上げられるようワクワクしながら仕事をしたいと思っています。それが回りまわって、周りの人達や国民の皆様にも、毎日を楽しく明るく過ごしてもらえることに繋がると信じています。
これまでの経歴
1972 |
・中央大学卒業 |
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・住友銀行入行 |
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・同行調査部配属 |
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・米国経済調査担当 |
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1975 |
・同行退職。衆議院議員 木村武千代秘書 |
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1983 | 4月 |
・香川県議会議員に当選 |
1986 | 7月 |
・衆議院議員に初当選 |
1990 | 2月 |
・衆議院議員に2回目当選 |
6月 |
・自由民主党政務調査会 通信部会副部会長 |
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6月 |
・衆議院物価問題等に関する特別委員会理事 |
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7月 |
・衆議院社会労働委員会 委員 |
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1991 | 3月 |
・衆議院文教委員会理事 |
3月 |
・自由民主党政務調査会 商工部会副部会長 |
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3月 |
・自由民主党政務調査会労働部会副部会長 |
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8月 |
・衆議院証券及び金融問題に関する特別委員会委員 |
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1992 | 11月 |
・衆議院議院運営委員会議事進行係 |
12月 |
・厚生政務次官 |
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1993 | 7月 |
・衆議院議員に3回目当選 |
1994 | 7月 |
・衆議院議員運営委員会 理事 |
8月 |
・自由民主党政務調査会 法務部会副部会長 |
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8月 |
・自由民主党政務調査会 社会部会会長代理 |
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8月 |
・衆議院厚生委員会理事 |
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1995 | 7月 |
・自由民主党政務調査会社会部会副部会長 |
7月 |
・自由民主党国会対策委員会副委員長 |
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7月 |
・衆議院交通安全対策特別委員会理事 |
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7月 |
・衆議院災害対策特別委員会理事 |
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7月 |
・衆議院建設委員会理事 |
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8月 |
・衆議院予算委員会委員 |
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1996 | 9月 |
・自由民主党副幹事長 |
10月 |
・衆議院議員に4回目当選 |
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1997 | 9月 |
・自由民主党政務調査会 副会長 |
11月 |
・衆議院逓信委員会委員長 |
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1998 | 1月 |
・衆議院法務委員会委員 |
1999 | 8月 |
・衆議院厚生委員会委員長 |
10月 |
・自由民主党総務会総務 |
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2000 | 6月 |
・衆議院議員に5回目当選 |
2001 | 1月 |
・衆議院決算行政監視委員会筆頭理事 |
7月 |
・自由民主党民間資本の社会資本整備(PFI)推進調査会会長 |
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7月 |
・衆議院国家基本政策委員会委員 |
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2002 | 1月 |
・衆議院予算委員会理事 |
5月 |
・自由民主党組織本部 本部長代理 |
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2003 | 1月 |
・自由民主党政務調査会 副会長 |
10月 |
・厚生労働副大臣 |
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11月 |
・衆議院議員に6回目当選 |
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2005 | 9月 |
・衆議院議員に7回目当選 |
11月 |
・自由民主党民間資本の社会資本整備(PFI)推進調査会会長 |
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11月 |
・自由民主党財務委員長 |
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2006 | 10月 |
・衆議院災害対策特別委員会委員長 |
11月 |
・自由民主党外国人労働者等特別委員会委員長 |
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11月 |
・自由民主党広報本部長 |
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2007 | 9月 |
・自由民主党財務委員長 |
10月 |
・自由民主党障害者福祉委員会委員長 |
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10月 |
・自由民主党社会保障制度調査会会長代理 |
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2013 | 7月 |
・参議院議員に初当選 ・自由民主党外国人労働者等特別委員会 委員長 |
2015 | 4月 |
・永年在職議員25周年表彰 |
2016〜2019 |
・参議院厚生労働委員会 委員 ・参議院行政監視委員会 委員 ・参議院政府開発援助等に関する(ODA)特別委員会 委員 ・自由民主党総務 ・自由民主党外国人労働者等特別委員会 委員長 ・労働力確保に関する特命委員会 委員長 ・自由民主党認定こども園振興議員連盟 会長 ・全国栄養士養成施設協会 名誉会長 |
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現在 |
・自由民主党認定こども園振興議員連盟 名誉会長 ・全国栄養士養成施設協会 名誉会長 ・自由民主党外国人労働者等特別委員会 特別相談役 |
プライベートプロフィール
1948年4月生まれ
姉と妹に挟まれた長男。
姉は8歳上だったので、同世代の近所の男友達と原っぱで鬼ごっこやかくれんぼ、小屋を作って遊んでいた。
★小学校時代
白金小学校にあがると、ちゃんばらと缶蹴りで毎日過ごす。
白黒テレビが初めてうちにきて、近所全員が集まりプロレス観戦。
この頃から甘いもの好きで、特にアイスクリームのコーンが大好き。
コーンだけもう一本貰おうとして母に叱られる。
★中学時代
受験勉強をしなきゃいけないのに遊んでしまっていた。
勉強しようと机に向かうと模型をつくったり鉱石ラジオを作っていた。
★学芸大学附属高校時代
休みの日は自転車で東京から京都まで行ったりした。
運動会で棒倒しの時に相手に勝つため、仲間全員の手にペンキを塗りたくって相手をペンキまみれにした。
★大学時代
大学は山登り北海道羅臼岳に登るなど山岳好きの仲間と過ごす。
山登りの際、50m落ちた事もあり、家には帰れたものの、その後1週間身体が動かなくなった。
★行員時代
住友銀行に就職。
日米英会話学院に半年間派遣され1ヶ月のアメリカ研修をさせてもらう。
調査部で毎朝、英字新聞を読む生活。
★秘書時代
父親の秘書となり、自由民主党青年局の旅行でフィリピンに。現地に着いた途端、なんと連れ去られたが『明日フィリピンの大物に会う』と機転を利かせ無傷で帰還。逆に犯人にホテルまで送ってもらう。
アメリカ旅行に行った際、丁度スターウォーズが初公開しており、日本上映より先に映画を観に行く。
今でもスターウォーズが公開すると必ず鑑賞する。
★県議会議員時代
国と県の政治の違いを知る
★衆議院議員時代
初めての選挙では、ライバル候補がきむらよしお。同姓同名との対戦でかなり苦戦する。
渡辺美智雄先生に一緒に挨拶回りの追い込みをする。
4回目の選挙から小選挙区となる。
父が脳梗塞で倒れ、介護に携わるが病院のたらい回し、家族介護の限界を体感する。社会保障を一生の仕事にしようと志を立てる。