衆議院政治改革特別委員会で質問する (1993年末)
  香川県議会議員選挙は、長老県議の引退に伴う指名後継であったが、選挙戦は激しい戦いとなった。当時34歳にして独身だった木村氏は、いわれのない怪文書をばら撒かれ初戦は悩まされ続けた。
  「その怪文書は車のワイパーに挟まれているので、有権者は内容を見ざるを得ない。熾烈な戦いでした」。
  ところが、有権者はきちんと見ていてくれた。初陣を見事にトップ当選で飾ったのだ。
  しかし、それから後、父・武千代氏が脳梗塞で倒れ、左半身不随の身となった。県議当選から3年、任期を1年弱残した昭和61年7月に行われた総選挙に出馬すべく、父の後を継ぎ国政に転じることになる。
「私が初当選した頃の衆院委員会は建設、運輸、商工が花形で、新人には高嶺の花でした。そこで社会労働委員会に籍を置いたのですが、それが縁でこの分野の行政に長く携わることになりました」
  木村氏は衆院厚生委員長や厚生労働副大臣などを歴任し、厚生労働行政には初当選以来、全力投球してきた。今も長い経験を生かして少子高齢化対策などに真剣に取り組むとともに、党広報本部長として自民党の中枢で新たな重責を担いフル回転している。
  党広報本部長は、幹事長、総務会長、政務調査会長らと共に「党七役」と呼ばれ、党内でも要職として知られている。広報本部には現在、「広報局」「報道局」「文化・スポーツ局」「出版局」「新聞局」「マルチメディア局」「写真・映像局」などが置かれ、その活動は多岐に亘り、各局の局長、次長の国会議員を合わせると党内最大部署の一つとなっている。木村氏は、その党の広報活動全般を統括する責任者として采配を振るう。メディアの多様化が進み、新聞・テレビなどで自民党の姿が多種多様に報じられているなか、広報本部の役割・任務もより重要なものとなっている。
「私は、先人達が築き上げてきた自由民主党のブランドすなわち伝統と文化を受け継ぎながら、これまでの経験を活かして、さらに時代を先取りした広報活動を強力に推進していきたいと思っています」
  木村氏はこう決意を述べるが、政党における広報活動の重要性は日増しに高まり、その良し悪しが、いまや選挙の帰趨(きすう)を決すると言っても過言ではない。先の総選挙でも、「自民党が打ち出した広報戦略が、歴史的な圧勝の一因となった」との分析がある。大所帯の広報本部のトップに立ち、党七役の一人として活躍する木村氏の存在感は、党内でますます高まっている。

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