香川県議員選挙で初陣を飾る。左端が父親の武千代氏 (1983年4月)
  父親の選挙の苦労を見ているので、大学を出て社会人になるまで政治の道に入る気持ちはなかったと語る木村氏。中央大学で会計学を学び、その知識を生かそうと昭和47年、住友銀行に入行した。
  英語の成績が良かったのだろう。「これからは国際化時代になるから英語を学べ」と、新人行員の木村氏に白羽の矢が立ち、入行早々『日米会話学院』に半年間通わせてくれたという。配属先の支店に戻るとその語学力を生かして外国為替の担当になった。そして、船荷証券(略B/L)で融資の仕事をしているときのことである。上司からは厳密にチェックするように指示されていたので、いろいろと調査し融資の決定を見送った。だが、そのときに、自分が接している取引先企業は一社なのに、その相手企業には、何社もが係っていることを知る。なんと銀行の支店窓口に取引先の下請け会社の人達が押しかけて来たのである。木村氏は閉口したが、融資を受けられるか受けられないかは、その人達の生活にも直接影響するのである。この現実に接したとき、木村氏は改めて、「会社は一社で成りたってはいないのだ。人も一人で生きているのではない」と、現実の社会の厳しさをひしひしと感じたという。ようやく上司の了解を得て融資は実行されたが、このときの経験はいまに生きていると語る。
 その後、入行三年目に調査部の配属となったが、ここは銀行の中枢である企画部への登竜門とされていた。この調査部には、企業調査と経済調査があり、木村義雄氏は米国経済調査担当に配属された。ここでは、毎朝早く出勤して、各外国通信社から送られてくるファクシミリを選別し、経済金融の関連記事を切り貼りし、上司に上げることから朝の仕事が始まる。「この調査部の経験から、GNPの算出方法やその国の経済の見方、金融の重要性、マクロ経済などを学ぶことができました。こういった専門分野を若いうちに経験できたことは、生涯の財産です」と、振り返る。
  しかし、昭和50年8月、父親の後援会から、「そろそろ後継者として政治の実践を勉強したほうがよい」と説得され、政治の道を目指すことになった。
  「日米会話学院にも派遣され英検一級を取り、海外研修にも行かせてもらいましたが、わずかまる三年強で辞めてしまったので先輩行員からよく叱られました」。
  住友銀行を円満退社した木村義雄氏は、父・武千代代議士の秘書として本格的に政治の研鑽を積み、昭和58年、請われて香川県議会議員選挙に出馬する。

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