地元の支援者たちと一緒に(衆議院議員応接室にて、2004年3月)
  木村義雄氏の母方の祖父・上原平太郎は、日露戦争に従軍し、陸軍中将まで登りつめた。当時は薩長でなければ陸軍大将にはなれない時代であったため、藩閥ではなかったこの方の地位は、並の人間では就けない階級である。
  昭和の初めまで香川県は大臣も大将も輩出しなかったが、三土忠造が初めて、田中義一内閣の文相となった。その三土忠造に仕えた父を持つ木村氏にも、明治人の気骨のようなものが受け継がれている。更に、中国の歴史が好きだと語る木村氏は、その歴史から影響を受けた日本文化のあり方を、いま改めて問い直している。
「我が国固有の伝統を現代に生かすためにも、その祖である大陸の歴史を学ぶことは大切なことです」
と語るが、国会議員として多方面に亘って活躍し、多忙な生活を送る、その体力はどこで養われたのだろうか。
  それは、若い頃からの山登りによるという。大学時代には、山岳部に所属していたわけではなかったが、仲間とともに、また時には一人で、数々の登山に挑んできた。しかし、谷川岳にチャレンジしたときは、三回挑んで三回とも行けず終いだった。その時の残念さは今でも心に残っていると語る。
「初めて登ったときには、途中から雪が酷くなり、ラッセルしても、普段であれば30分で行ける道のりが2時間かかっても行かれなくなってしまった。このため諦めて降りてきたのですが、同じときに登っていたある大学の山岳部は遭難してしまい、大騒ぎになっていました」。
  行動力だけでなく、時には決断力も問われる登山から学んだ点は多い。その後の2回のチャレンジも、電車の脱線事故などにより目標を達成できなかった。
  しかし、北海道の羅臼岳には一人で挑んで成功している。数年前には、地元の寅丸山という小さな山に登って地元の山に興味を持ったという。
  もともと木村氏は、フットワークが軽い。地元の行事などには、いつも進んで参加し地域に馴染んでいる。地元の声を聞くと、「親しみやすい」「気さくな人柄」と人気が高い。特に婦人層には圧倒的な支持を受けているが、いさ子婦人の内助の功が大きいことは言うまでもない。

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