高松自動車道(さぬき三木〜高松中央)、一般国道11号高松東道路開通式
(2001年3月29日)
  私が、この国のあり方や郷土を大切に思う心は、両親の影響によるものです。母は軍人の娘でしたので、筋が一本通っているというか、”びしっ”とした厳しいものがありました。しかし、その反面、愛情豊かに育ててくれました。そんな母を育てた祖父は、上原平太郎という香川県高松市出身の陸軍中将でした。日露戦争に従軍した際の貴重な記念写真の思い出があります。祖父は第二軍司令部に所属していたのですが、奥保鞏(おくやすたか)大将を中心に写っている記念写真には、祖父の真後ろに、なんと森林太郎軍医監が一緒に写っているのです。森林太郎と言えば、明治の文豪・森鴎外のことです。祖父は、鴎外と同じ釜の飯を食った仲だったのです。
  私に人生の指針を、知らず知らずのうちに示していてくれた父は、元衆議院議員の木村武千代です。弘法大師以来、香川県は信仰心の厚い人が多いのですが、父もその一人でした。これも何かの縁かもしれませんが、父の姉と妹は二人ともお寺に嫁いでいます。
  そんな父の経歴は、極めてユニークです。一高、東大から高文試験に合格し拓務省に入省、兵役で陸軍中野学校に入り、情報将校として南米各地を飛び回っていました。
  その後、香川県で初めて大臣となった三地忠造代議士(高橋是清内閣の書記官長、田中義一内閣の文相・蔵相、犬養毅内閣の逓相、斉藤実内閣の鉄相、戦後、幣原喜重郎内閣の内相兼運輸相、枢密院顧問官)の秘書を務め、そのあと大映に入社しました。大映の社長である永田雅一氏には、随分と厳しく働かされたようです。大映では秘書部長、外国部長を務め、「羅生門」などの邦画を売り出すために、ここでも世界中を飛び回っていました。
  父が衆議院議員に出馬した最初の選挙の時には、大映時代から親交のあった岸信介氏(当時=内閣総理大臣)に、随分と応援していただきましたが惜敗。二度目の選挙の時には、大映から女優さんが応援に入ってくださったのですが、却って、それが地元の女性の反感を買ってしまいまた落選。三回目のときには、凄い逸話があります。
  これは、昭和38年の選挙になるのですが、当時は翌年の東京オリンピックに向けて、国内の道路が整備されている最中でした。どうやって、舗装整備される道が決まるかと言うと、それは当時の建設大臣・河野一郎先生の通る道が、その対象になったと言われています。父の三回目の選挙の時には、その河野建設大臣が父の応援に来られることになり、おかげで地元の道も舗装されて無事初当選。
  しかし、世界各国を飛び回っていた父は、地元でもどこでも、世界情勢を熱く語るわけです。ところが、昭和30年代の後半頃と言えば、海外は庶民にとっては手の届かないところでした。選挙区で世界平和や高尚な国際論を述べても、理解されるはずがありません。後援会からも、「それは当選回数を重ねてから」と意見されても、国際情勢に明るかったから、黙ってはいられなかったでしょう。当選後の二度目の選挙はまた落選をしてしまいました。その後は、脳梗塞で倒れるまで連続5回、父は衆議院議員を務めさせていただきました。
  昭和61年、病気の父に代わって私が衆議院議員選挙に出馬しました。
  ところが、選挙には名前の漢字は異なるものの同姓同名の「きむらよしお」が出馬していました。どうもライバル候補の嫌がらせらしいのですが選挙戦に突入です。正しく「義雄」と書いてくださいと頼んでも字画が多いので大変です。「そんな細かい事を言うなら他の人を入れるぞ」と言われたりして散々でした。
  7月8日、翌日開票の日、平仮名だけ等の判別のつかない票が2000票ありました。実は開票率99%の時点で、私は1000票差で次点にいました。ライバル候補はもう当選とばかり万歳をした直後、比例按分でほとんどの票が私にカウントされ劇的な逆転で当選することができたのです。当時の中曽根総理から「おめでとう、君がちょうど300番目の当選者だ」と祝いの電話を頂きました。
  当選すると、中曽根康弘先生から「当選一回生の議員の任務は二回目を受かることだ」と言われました。私は、父の轍を踏まないように二回目の選挙には力を入れようとしていた矢先のことです。
  当時独身だった私に対して、周りの方達から「次の選挙までに結婚しないと応援しない」と言われてしまったのです。ここで先程申し上げた、仲人さんの取り持ってくださった縁で、妻と巡り合い、結婚することができたわけです。
  しかし、一度目の選挙の時もそうだったのですが、二度目の時にも、父と親交のあったミッチーさんこと渡辺美智雄先生には、私の地元へ選挙応援に入っていただくなど、随分とお世話になりました。ミッチーさんは、さまざまな点から、いろいろと具体的にアドバイスをしてくださるのです。本当にいつも親身になって相談に乗ってくださるし、当選してからも先生の宿舎に遊びに行くと、“にこっ”と笑って机の下からウイスキーを取り出し、「さぁ、やろう」と。ところが私はお酒が飲めませんので、ただただ眺めるばかりでした。
  また、ミッチーさんが好きな東京・赤坂にある「三亭」というトンカツ屋さんに、よく連れて行っていただきました。そこでは、政治談議に花を咲かせたものです。

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